前回のブログの続きになります。
今回は、入院生活と小学校卒業についてお話しさせていただきます。
よろしくお願いします。
小学生の夢と、突然の入院生活
夏休みが始まったばかりのある日、私の世界は一変しました。腎臓の病気を詳しく調べるための「腎生検」という検査を受けるため、私は入院することになったのです。
腎生検とは、腎臓の組織を採取して顕微鏡で詳しく調べる検査です。尿にタンパク質や血液が混じる「蛋白尿」「血尿」の原因や、腎臓の働きが低下する「腎機能低下」の原因となっている病気を特定し、その後の治療方針を決めるために行われます。
一般的には、背中から針を刺して組織を採取する「経皮的腎生検」という方法がとられます。麻酔をしているため、検査中に痛みを感じることはありませんでした。しかし、検査後から始まった治療は、私の身体を少しずつ変え、心に重くのしかかっていきました。
変わっていく身体、孤独な誕生日、そして味気ない食事
処方されたのは、10種類もの飲み薬。中には、メドロール錠という強い薬も含まれていました。その副作用で、私の顔はふっくらと丸くなり、体重も増えました。コレステロール値が上がり、眼圧が高くなって眼科に通うことにもなりました。
ワーファリンという血液を固まりにくくする薬も服用していたため、納豆やほうれん草など、大好きだった食べ物を我慢しなければなりませんでした。
そして、もう一つ辛かったのが、病院の食事です。塩分控えめの味気ない食事は、食いしん坊な私にはとても物足りませんでした。他には12歳の誕生日は、病院のベッドの上で迎えました。
そんな孤独な日々に、ひとつの光が差し込みました。週末に限り、一時帰宅が許可されたのです。土曜日の朝10時から日曜日の夜8時まで。たった34時間の自由でしたが、その時間が私にとってどれほど貴重だったか、今でも鮮明に覚えています。
土曜日の朝は心が弾むほど嬉しく、日曜日の夜は、また病院に戻らなければならない寂しさで、胸が締め付けられるようでした。
日々の治療と、何よりも辛かったこと
入院生活は、想像以上に厳しいものでした。毎日の尿検査は欠かせず、週に2回は採血がありました。注射の針が身体に刺さるたびに、心がキュッと締め付けられるような痛みを覚えました。
しかし、何よりも辛かったのは、両親と一緒に暮らせないことでした。幼い頃から当たり前だった、家族との日常が突然奪われたのです。夜、寂しさで涙が出そうになっても、両親はそばにいませんでした。
両親は毎日お見舞いに来てくれましたが、面会時間が終わると、また一人きり。病室のベッドで、天井を見つめながら、両親の帰りを待つ日々が続きました。
病院内の特別な学校での出会い
夏休みが終わり、私は転校することになりました。転校先は、病院内にある特別な学校でした。クラスメイトは、私を含めてたった6人。小学2年生から6年生まで、学年がバラバラの小さな教室でした。
先生は、定年を間近に控えた、とても優しい女性の先生でした。生徒一人ひとりの学年に合わせて、丁寧に指導してくれました。病室から通う、小さな学校。そこには、同じ境遇の仲間と、温かい先生がいました。辛い治療の中でも、学校に行く時間は、私にとって大切なひとときでした。
しかし、心の中には、ずっと拭いきれない後悔がありました。
拭いきれない、2つの後悔
一つ目は、元の学校の友達に会えなかったことです。6年生の2学期は、修学旅行や運動会など、楽しいイベントが目白押しのはずでした。みんなと過ごせなかったことが、今でも心残りです。
入院を誰にも知られたくなかったので、担任の先生と相談し、半年間休学という形にしてもらっていました。席はそのままに、みんなには「長期で休んでいる」ということにしてくれていたのです。月に一度、お見舞いに来てくれた先生には、感謝しかありません。
二つ目は、卒業アルバムの写真です。入院中の私は、薬の副作用で顔がパンパンに腫れていました。卒業アルバムに残る大切な写真なのに、とても納得できる状態ではありませんでした。事情を知らないみんなは、私の顔が「おかしい」と思ったのではないかと、今でも胸が痛みます。
もし、入院する前に写真を撮っておけば……。一生残るものだからこそ、その後悔は、今も私の心に深く刻まれています。
そして、迎えた卒業式
治療は順調に進み、卒業式の1週間前、ついに退院の許可が下りました。完治はしていませんでしたが、元の学校に戻れることが、何より嬉しかったのを覚えています。
同時に、院内学級で仲良くなった友達との別れが寂しくもありました。私は6年生だから卒業という理由で退院できるけれど、そうでない友達もいます。みんなを置いていくような気がして、少し申し訳ない気持ちにもなりました。
卒業式の1週間前、私は半年ぶりに元の学校に登校しました。教室のドアを開けると、たくさんの友達が駆け寄ってきてくれました。その時の光景は、今でも鮮明に思い出せます。
そして、卒業式当日。SMAPの「世界に一つだけの花」が流れる中、私は小学校を卒業しました。
他の人よりも少し苦しい経験をしたけれど、それでも、みんなと同じ母校で卒業式を迎えられたこと。その喜びが、私の心を温かく満たしてくれました。
まとめ

今回のブログでは入院生活と小学校卒業についてお話をさせていただきました。
次回のブログでは、中学入学についてお話しします。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引き続きよろしくお願いします。
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