【自分のこと】私の人生を変えた慢性腎炎

今回は少し私自身のことを話させてください。私の人生は、5歳の健康診断で大きく変わりました。そこで私は、「慢性腎炎」という病気だと診断されたのです。

今回は、私の人生を変えた慢性腎炎についてお話しさせていただきます。
よろしくお願いします。

慢性腎炎ってどんな病気?

あまり聞き慣れない人もいるかもしれません。慢性腎炎というのは、腎臓の中にある「糸球体」という血液をろ過するフィルターが炎症を起こしてしまう病気の総称です。この炎症が長期間続くことで、本来は尿に混ざらないはずのタンパク質や赤血球が漏れ出してしまいます。私の場合、健康診断の尿検査で「血尿が+」と判定されたことがきっかけでした。自覚症状がほとんどないため、学校の検尿で発見されるケースがとても多い病気なんです。

小学生の頃は、この病気とずっと一緒でした。毎月1回通院と尿検査、半年に1回の採血。採血が本当に嫌で、痛くて毎回泣いていました。身体はどこも痛くないのに、健康診断では必ず「血尿」と書かれる。周りのみんなが健康診断の結果を見せ合って「全部Aだった!」なんて話しているのを聞くと、「いいな、普通っていいな」って、いつも思っていました。

退屈だった病院の待ち時間

病院の待ち時間も、子どもにはつらいものでした。市立病院に通院していたので患者さんも多くて1時間以上待つのが当たり前で、退屈で仕方なかったです。当時はゲームボーイが流行っていて、ポケットモンスターの「赤・緑」に夢中でした。待ち時間にひたすらポケモンをやっていましたが、それでも1時間は長かったです。

野球部への憧れと、叶わぬ夢

そして、一番つらかったのは運動の制限です。部活動は禁止。体育の授業も、ギリギリしかできませんでした。小学4年生になると、周りの友達は野球部やサッカー部に入り始めて。私は野球が大好きで、いつか野球部に入りたいって夢見ていたから、みんなが楽しそうにしている姿を見るのが、本当につらかったです。父が初めて買ってくれたグローブを、毎日毎日触って柔らかくしていたなぁ。みんなが部活に行く中、私だけが一人で家に帰る毎日。「なんとかして、私も部活に入れないかな…」って、いつも考えていました。

突然告げられた長期入院

でも、先生に相談しても答えは同じでした。「部活動は無理だよ。それに入院して、治療をしないといけない」入院は1年近く。治療によって免疫が下がり、合併症も起こる可能性があるため、今の学校には通えなくなるから、病院の中にある学校に転校する必要がある、と言われました。

夏休みとラジオ体操

そして、小学6年生の夏。友達と修学旅行を楽しんだ直後、夏休みが始まったばかりの日に、入院することになったんです。入院当日、朝のラジオ体操に参加できたのはそれが最後でした。ラジオ体操のスタンプをもらった時、「明日からは、もう来られないんだ…」そう思うと、すごく寂しくなったのを、今でもはっきり覚えています。

慢性腎炎と向き合って得たこと

この病気は、早期発見と継続的な治療がとても重要です。もし健康診断で異常が見つかったら、怖がらずに病院を受診してほしい。私のように、子どもの頃に治療が必要な場合もありますが、適切なケアをすれば、病気と向き合いながら生活していくことができます。

私にとってのグローブは、野球部に入れない寂しさの象徴でもあり、それでもいつか野球ができるかもしれないという希望でもありました。あの時感じた悔しさや寂しさは、今でも私の中に残っています。

この経験があったからこそ、私は自分の身体と向き合い、大切にすることができました。そして、普通の生活が送れることのありがたさを、身をもって知ることができました。あなたの日常の中にも、当たり前だと思っていることが、実はとても貴重なことかもしれません。

まとめ

今回のブログでは私の人生を変えた慢性腎炎についてお話をさせていただきました。

次回のブログでは、入院生活と小学校卒業についてお話しします。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

引き続きよろしくお願いします。

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