【自分のこと】中学校入学と部活動

前回のブログの続きになります。前回は小学生の時のお話。主に入院生活についてお話させていただきました。

今回は、中学校入学と部活動についてお話しさせていただきます。
よろしくお願いします。

道路一本が分けた、僕らの青春

希望に胸を膨らませていた中学校入学。でも、それは学区制という、あらかじめ決められた道を進むということでもありました。今でこそ、学区を選んで学校に通えますが、僕らの時代はそうではありませんでした。

遠い学校と、遠くなった友だち

小学校を卒業した僕たちの学年は、たったの3クラスで90人ほど。それが8対2の割合で、二つの中学校に分かれることになったんです。僕が振り分けられたのは、8割の友だちが進む中学校。でも、一番仲が良かった友人が、2割の子が進んだ方の学校に行くことになってしまった。その差は、たった一本の道路。その道路を挟んで、僕たちは違う中学校に通うことになったんです。一番の友人と離れてしまった寂しさも、心の中にありました。

僕が進学した中学校は自転車通学が許されず、毎朝30分かけて歩いて通うことになりました。新しい学校に足を踏み入れると、そこには3つの小学校から集まった約200人の新入生が。クラスの3分の1くらいは、見知った顔。でも、全員が同じクラスになったわけじゃないし、最後の半年は入院していたこともあって、話せていない人もいた。初めて教室に入ったとき、その広さに圧倒されながらも、「知っている人が少ないなぁ」と、ぼんやり感じたのを覚えています。

帰り道の寂しさと、体育の時間

クラスメイトのほとんどが、部活動で汗を流す日々。全体の8割近くが、何かしらの部活に入っていました。僕は病気のために参加できず、「帰宅部」と呼ばれて、こっそり劣等感を抱いていました。本当は思いきり体を動かしたいのに、できない。体育の授業だけが、僕にとって唯一、自分を解放できる時間でした。

夏の大会が近づくと、強豪バスケ部の応援に駆り出されることに。部活に入っていない「帰宅部」だけが、応援練習のために放課後や夏休みに集められるんです。応援席から仲間たちを見つめながら、心の中では「どうして僕だけプレーできないんだろう」って、悔しさがこみ上げてきました。みんなが頑張っている姿を応援しながらも、本当は僕も一緒に青春を味わいたかったです。

初めての東京、最高の仲間と

そんな僕の心境が変わったのは、三年生の夏。部活を引退した仲間たちが、僕と同じように放課後を過ごすようになったんです。一緒に帰ったり、遊んだり、語り合ったり。部活をしていたかどうかは関係なく、僕たちは「仲間」になっていきました。そして、その最高の仲間たちと迎えた修学旅行。

東北を出たことのなかった僕にとって、初めて訪れる東京は何もかもが刺激的でした。新幹線に乗るのもこれで2回目。ディズニーランドや浅草、お台場を巡るたびに、目に映るものすべてが新鮮で、心臓がドキドキして地に足がつかないほどでした。最高の友人と一緒に東京を巡ることができて、本当に最高だった。あのときの興奮と喜びは、今でも鮮明に覚えています。

仲間との出会い、そして旅立ち

三年生で出会ったメンバーは、本当に良い仲間で、今でも大切な友人です。そして、高校受験。秋田で就職したいと考えていた僕は、大学進学を前提としない高校を志望しました。念のために滑り止めで受けた私立高校には合格したものの、第一志望の公立高校は不合格。結果的に、僕は私立高校に進むことになったんです。

通学に時間はかかったけれど、あの30分の道のりが、僕にかけがえのない仲間たちとの出会いをくれた。思い描いていた未来とは、少し違う今。それでも、あの中学校での日々、そして出会った仲間たちとの絆は、今も僕の心の支えになっています。ちょっと切ない帰り道も、悔しかったあの夏の日も。全部ひっくるめて、今の僕をつくってくれたんだなって、そう思います。

まとめ

今回のブログでは中学校入学と部活動についてお話をさせていただきました。退院してから少しずつ学校生活に慣れてきて新たな友人にも出会うことができて修学旅行で東京に行けたことは人生の中で大きな宝物になりました。

次回のブログでは、高校入学についてお話しします。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

引き続きよろしくお願いします。

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