【自分のこと】高校生活最後の挑戦、そして新しい一歩

今回は、高校生活最後の挑戦、そして新しい一歩についてお話しさせていただきます。
よろしくお願いします。

試練のトランペットパート

高校3年生になり、吹奏楽コンクール出場最終年と大学受験という、人生の大きなイベントが重なりました。まずは部活動についてです。部全体では70人弱の規模でした。この年、新入部員は約20人近く入部し、トランペットパートは、先輩2名が卒業。1つ下の学年には後輩がいなかったので、3年生は4人。そこに新入部員として、3人の経験者が加わりました。

そのうちの1人は、特待生として入学してきたずば抜けて上手な後輩で、入学前から顧問の先生にレッスンを受けているほどでした。他の2人も上手く、3年生なのにメンバーから外されるかもしれないと危機感を覚えました。私は決して上手ではなかったのですが、一緒に吹奏楽を始めた友人は、トロンボーンパートのリーダーやソロを担当するなど、私の一歩も二歩も先を行っていました。この年の自由曲は、顧問の先生が「彼ら(友人や後輩)が上手いから」と、トロンボーンがメインの曲を選んだと話していました。楽器は違えど、同時に始めた友人が先を行くことに、ここでも悔しさを感じました。

最後のコンクールと完全燃焼

ある晴れた練習日、顧問の先生が「携帯を持って外に出ろ」と言いました。そして、みんなで青い空を撮影し、コンクールまで待ち受けにするように、と。理由は、この年、2007年の課題曲がマーチ「ブルースカイ」だったことと、部員みんなで一致団結するためでした。

コンクールメンバーには、ギリギリで滑り込むことができ、最後のコンクールに出場することができました。結果は地区大会、県大会ともに金賞。しかし、東北大会には進めない「ダメ金」という結果に終わり、当時「吹奏楽の甲子園」と呼ばれていた普門館に行く夢は叶いませんでした。

最後に大きな会場で定期演奏会を開催し、3年間の吹奏楽人生に幕を閉じました。打ち上げで、友人が大粒の涙を流しているのが印象的でした。彼は心から楽器に向き合い、完全燃焼したんだなと強く感じました。

大学受験と進路の決断

部活動が11月まであったため、センター試験まで実質2ヶ月しかありませんでした。その中でやれることを精一杯やり、センター試験に臨みました。第一志望は国公立大学、第二志望は仙台の私立大学、そして第三志望は東京の私立大学でした。

センター試験では思うように得点が取れず、第一志望は断念。第二、第三志望の私立大学を受験し、第三志望の東京の大学に進学することが決まりました。秋田から出て、一人暮らしをして、都会を経験したいと思っていた私ですが、いざ合格が決まり、東京に行くことになると、少し心細く感じたことを今でも覚えています。

友人との差、そして焦り。友人と比べると、私は8月のコンクールが終わってから定期演奏会までの約3ヶ月間、大学受験の不安と、周囲がすでに部活を引退していることへの羨ましさがありました。最後の年は進学クラスの中でも上のクラスに所属できたので、クラスメイトは皆、大学進学を希望していました。推薦で進路が決まる友人も多く、彼らが楽しそうにしている姿を見ては、自分の置かれた状況への焦りや不安を感じていました。

進路が決まったのは、高校を卒業してからでした。担任や顧問の先生に報告し、数週間のうちに物件探しや引っ越しなどで大忙しになったことを覚えています。

まとめ

今回のブログでは高校生活最後の挑戦、そして新しい一歩についてお話をさせていただきました。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

引き続きよろしくお願いします。

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