今日は7月21日、KinKi Kidsのデビュー記念日です。
突然で驚かれたかもしれませんが、私にとってKinKi Kidsは人生を変えてくれたかけがえのないアーティストです。
今回は軌跡を、少しだけ掘り下げてお話しさせてください。
ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
小学生時代:KinKi Kidsとの出会いと入院生活を支えた歌声
KinKi Kidsとの出会いは、小学4年生の時でした。学校行事でみんなで踊った「フラワー」がきっかけです。覚えやすくて、とても良い曲だと感じたのを覚えています。その後、「僕の背中には羽根がある」も大ヒットし、学校ではKinKi Kidsの話題が絶えませんでした。まさに、KinKi Kidsと共に成長した世代と言えるでしょう。
小学6年生の時には、腎臓の病気で半年以上入院しました。詳しくは後日書いていきます。
辛く苦しい入院生活を頑張れたのは、KinKi Kidsの歌声でした。いつかコンサートに行きたいという強い思いが、私を奮い立たせてくれました。入院中は、CDプレーヤーで彼らの曲を聴き、毎週楽しみにしていたドラマを観て、退院後の生活を夢見ていました。
「男なのに男性アイドルのファンなの?」と周囲に言われることもありましたが、幼い頃から私は「好きなものは好き」と、自分の気持ちを曲げない精神の持ち主でした。ファンクラブにも入会していましたが、母からは「秋田には来ないからコンサートには行けないけどいいの?」と言われたものです。コンサートのチケットを取るためにファンクラブに入るのが一般的だった当時、チケットが取れないのにファンクラブに入るのか、という母なりのメッセージだったのでしょう。
学生時代:夢を追いかけて東京へ
大学受験では、東京に行けばコンサートに行けるかもしれないという思いも、上京を決めた理由の一つでした。大学生になってからは、東京だけでなく大阪や奈良で開催されたソロコンサートにも足を運びました。グループとソロ合わせて5回行くことができました。
しかし、大学卒業と共に秋田に戻ることになり、ファンクラブも退会し、CDやDVDを購入するだけの日々が続きました。ただ、リリースされる全ての作品は必ず購入し、最終的にシングル47枚、アルバム23枚、全てを持っているほど、彼らの音楽への愛は変わりませんでした。
社会人、そして父になる今:奇跡の再会とKinKi Kidsがくれた力
社会人になってから12年間、コンサートには行けていませんでした。しかし今年の1月、奇跡的にコンサートのチケットが取れ、奥さんと3人(お腹には赤ちゃんがいました)で参加することができました。
年末年始のコンサートが一般の人が誰でも応募できる形になったため、この幸運に恵まれたのです。奥さんから「着席できる席」という条件があったのですが、これもまた幸運なことに、その条件に合う席を取れたんです。いつか奥さんと一緒に行きたかった夢が叶い、本当に嬉しかったです。そして、今年の夏にKinKi KidsがDOMOTOに改名するので、KinKi Kidsとして最後の公演に行けたことにも大きな喜びを感じています。これまでの人生、辛いことや苦しいこともたくさんありました。しかし、KinKi Kidsという「推し」の存在が、入院生活を頑張れたり、大学受験と上京を頑張れたり、そして今の妊活を頑張れたりしました。
KinKi Kidsは、私の人生に寄り添い、常に光を与え続けてくれる存在です。
まとめ

私はKinKi Kidsが好きですがやはりコンサートでの生の歌声と生演奏は最高です。
私自身、高校時代は吹奏楽をやっていましたし、奥さんも保育の仕事でピアノを弾くなど、夫婦ともに音楽と少なからず関わりがあります。だからこそ、生まれてくる子供にも少しでも音楽に触れて好きになってもらえたらと願っています。そして私のように推しのアーティストを探して欲しいです。
今回のブログではKinKi Kidsがくれた人生の光についてお話をさせていただきました。
引き続きよろしくお願いいたします。
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